大阪地方裁判所 昭和45年(わ)3136号 判決 1970年10月30日
主文
被告人を懲役一年六月以上三年以下に処する。
未決勾留日数中九〇日を右刑に算入する。
押収にかかる短刀一口(昭和四五年押第五三八号符号1)を被告人より没収する。
昭和四五年七月二四日付起訴にかかる公訴事実のうち、第六の公務執行妨害、傷害の各事実について被告人は無罪
理由
(罪となるべき事実)
被告人は
第一、別紙窃盗犯罪一覧表記載のとおり、単独又は島田政彦と共謀のうえ、昭和四四年一〇月二〇日ころから同四五年五月二六日ころまでの間、六回にわたり、大阪市港区南市岡二丁目一〇番二七号旭荘横山裕安方外五ケ所において、同人外五名所有の現金一万六、二五〇円及びテープレコーダー、テレビ、ラジオ等四二点(時価六万二、三〇〇円相当)をそれぞれ窃取し
第二、同年一月二三日午後八時ころ、大阪市港区南市岡二丁目三番二九号先道路上において、通行中の森川幸一(当一九年)に対し「そんなに一肩をふつて歩くな」と因縁をつけ、逃げる同人の後頭部にビール瓶一本を投げつけて命中させ、もつて暴行を加え、
第三、同年二月二二日ころ、同市同区南市岡一丁目四番二一号宝美荘アパートにおいて、北岡利夫(当一九年)に対し短刀(昭和四五年押第五三八号符号1)を弄びながら「お前この前俺のズボンを買つてくれなかつたではないか、落し前をつけ、金を持つているだろう」と申し向けて金員を要求し、若し右要求に応じなければいかなる危害を加えるかもしれない態度を示して脅迫して同人を畏怖させ、よつて即時同所において、同人から現金一万円の交付をうけてこれを喝取し
第四、同年三月一一日午前一時ころ、同市同区磯路二丁目一番地先路上において、川島道男(当二七年)に対し、同人がスナックバーで大声を出していたことに因縁をつけ、手拳でその顔面を殴打し、あるいは頭突きをして暴行を加え、よつて同人に対し加療約二週間を要する顔面打撲及び上口唇挫創の傷害を負わせ、
第五、同日午前一時一五分ころ、第四記載のとおり川島道男に傷害を負わせた際、被告人を制止した金田勝(当二四年)を同市同区磯路二丁目五番一〇号室玉屋荘二号室水田寛也方に連れ込み、同所において右金田の顔面を手拳で殴打し、あるいはその頭部を牛乳瓶で殴る等して暴行を加え、
第六、同年五月一三日午後六時ころ、同市同区波際三丁目一号ココ喫茶店前路上において、前記北岡利夫に対し「喫茶店代がいる。わかつとるやろう、この前のようなことになるぞ」と申し向けて金員を要求し、若し右要求に応じなければいかなる危害を加えるかも知れない態度を示して脅迫し、同人を畏怖させ、よつて即時同所において現金一、二〇〇円の交付をうけてこれを喝取し、
第七、同日午後七時三〇分ころ、同市同区波際三丁目七番二三号港高等学校横路上において、右北岡利夫に対し「今夜寝る処がない。宿代が要るから金を都合してくれ」と申し向けて金員を要求し、同人がこれを断るや、手拳で同人の腹部を数回殴打して暴行を加え、若し右要求に応じなければさらに危害を加えるかもしれない態度を示して脅迫して同人を畏怖させ、よつて即時同所において、同人の腕時計一個(時価四、〇〇〇円相当)を外して取り上げてこれを喝取し、
第八、法定の除外事由がないのに、同年二月初めころから同年六月二六日ころまでの間、同市同区市岡元町二丁目一番二一号抱月荘の当時被告人の自室において、刃渡り約16.3センチメートルの短刀一振(昭和四五年押第五三八号の1)を所持し
たものである。
(証拠の標目)<略>
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、昭和四五年七月二四日付起訴にかかる公訴事実のうち、第六の公訴事実である公務執行妨害、傷害の点について、「司法巡査田中俊平及び福永浩見の被告人に対する逮捕行為は違法であり、これに対する被告人の抵抗行為は正当防衛行為であるから被告人は右公訴事実につき無罪である」旨主張するので検討するのに、
右公訴事実の要旨は「被告人は昭和四五年六月一八日午後六時二〇分ころ、大阪市港区磯路二丁目一番二三号先道路上において、大阪府港警察署勤務司法巡査田中俊平(当二八年)及び同福永浩見(当二七年)の両巡査が、被告人に対し、逮捕状が発布されている旨を告げて逮捕しようとするや「逮捕状を見せろ」と喚きながら道端にあつた木製の塵箱の蓋(四〇センチ平方位)を振り廻して両巡査の顔、胸等を殴打して暴行を加え、もつて同人らの職務の執行を妨害すると共に、右暴行により右田中俊平に対して加療約一〇日間を要する頤部挫創の傷害を負わせたものである」というのである。<証拠>を綜合すると
判示第三、第六、第七の各恐喝の事実を被疑事実として、昭和四五年五月一九日大阪地方裁判所裁判官により被告人を被疑者とする逮捕状が発布され、右逮捕状の発布により港警察署においては被告人を指名手配の上その所在を鋭意捜査中であつた。しかして、同署勤務の田中俊平、及び福永浩見両司法巡査は共に同署防犯少年係に所属し、今までに福永巡査は昭和四五年二月一八日頃と同年三月三一日頃の二回、田中巡査は同月三一日頃いずれも被告人を別件で取調べたことがあり、右両巡査と被告人は互に十分な面識を有していたが、当時被告人は、同年四月五日判示第二、第四の暴行傷害事件により大阪家庭裁判所において試験観察に付され、姫路にある播磨保正会に補導委託されていたところ、三日程して同所を逃走し大阪市内に立ち戻つていたので、警察が被告人の行方を探していると考え、更に同年一月一八日午後五時頃友人島田政彦より、被告人が指名手配になつており警察が被告人を捜していることを聞き、逮捕されれば少年院に送られることになると逮捕されることを恐れていた。
ところで昭和四五年六月一八日午後五時頃、上司より被告人を逮捕するためその立回り先を捜査するよう指示された右両巡査は、被告人の立回り捜査のため同日午前六時三〇分頃港区磯路二丁目六番三号赤丸食堂前路上を西に向つて通りかかつたところ、七、八米前方を友人島田政彦と連れ立つて東の方(両巡査の方向)に歩いて来る被告人を認めたが、被告人も同時に右両巡査の存在に気付き、逮捕されることをおそれ、矢庭に後を向いて走つて逃げ出した。両巡査は被告を追いかけながら「加納待て、加納逮捕状が出ているから待てなど」と大声で呼びかけながら追跡したが、被告人は右両巡査の呼びかけに耳を藉さず途中逮捕の際抵抗するために道端にあつた木製塵箱の蓋(証二号)を右手に持ち更に逃走したが、結局同区磯路一丁目一番三号四馬田果物店前道路上で両巡査は被告人に追いついた。そして右道路の歩道南側に立てられている鉄柵を背にして立ち止り両巡査に対し「こらお前らなんじや」などと怒鳴りながら右手に持つた右蓋を振廻して両巡査を近づけまいとする被告人に対し福永巡査は被告人の左前方に、田中巡査は右前方に位置して被告人と対峙し交交再三、「加納抵抗するな、お前は恐喝罪で逮捕状が出ている、蓋を捨てろ」と被告人が素直に逮捕に応ずるように説得したが、被告人はこれを無視し、なおも再三「お前ら何じや、逮捕状を見せろ、持つてこい」などと怒鳴りながら右蓋を振り廻して両巡査の接近を防ぎ徐々に東の方に移動して逃走の機会を窺つているので、遂に両巡査は磯路二丁目一番二三号ハーバー・シューズ店前路上において、実力を行使して被告人を逮捕する以外に方法はないと判断し、被告人の隙をみて福永巡査が被告人の左斜から組付いてその左手に手錠をかけて被告人の背後に回つて右手を被告人の首に巻きつけ、田中巡査が被告人の右斜前方からその右手を押えて蓋を落とし、同日午後六時三五分、二人して、漸く、烈しく抵抗する被告人を制して両手錠をかけて逮捕したが、その際田中巡査は、被告人の振り廻す蓋で頤部に全治一〇日間を要する挫創を負つた。その後被告人は直ちに港警察署本署に連行され、同署において前記逮捕状が示された事実を認めることができ右認定を左右するに足りる証拠はない。
ところで公務執行妨害罪が成立するためには、妨害されたとする公務員の職務行為が適法でなければならない。本件において被告人に公務執行妨害罪が成立するためには、田中、福永両巡査の本件逮捕行為が適法でなければならない。そこで右両巡査の本件右逮捕行為の適法性の有無について検討してみるのに、
右両巡査の本件逮捕行為が、所謂、逮捕状の緊急執行(刑事訴訟法第二〇一条第二項)としてなされようとしたものであることは明らかである。ところで同条項により準用される同法第七三条第三項本文によれば「緊急を要するときは……被告人に対し公訴事実の要旨及び令状が発せられている旨を告知し、その執行をすることができる」旨規定されており、逮捕状の緊急執行の場合においては、逮捕の急速性を充足することと被疑事実及び逮捕状発布の告知がいずれも履践すべき法定の要件とされていることが明らかである。
前記事実関係のもとにおいて、本件逮捕行為が急速性の要件を充足していること、右逮捕に際し恐喝罪で逮捕状が発布されていること言い換えれば罪名と逮捕状発布の事実の告知がなされたことは疑う余地もない。しかしながら被疑事実の要旨の告知がなされた形跡はこれを認めることができない。被疑事実の要旨の告知がされなかつた理由が奈辺にあるか知る由もないが、前記認定の事実に徴して考えると、前記四馬田果物店前で被告人が両巡査に追いつめられ、被告人の左右前方に両巡査が位置して被告人と対峙した時、被告人は両巡査に蓋を振り廻して抵抗しながらも、再三「逮捕状を示せ」ということを言つており、このことは逮捕の理由(被疑事実の要旨)の告知を求めているものと解するに十分である。又これを告知するだけの時間的な余裕もあつたというべきである。
刑事訴訟法が通常逮捕の場合に被疑者に逮捕状を示すことを要し、逮捕状の緊急執行の場合に逮捕状発布の事実のほかに被疑事実の要旨を告知することを要するとしたことは「何人も理由を直ちに告げられなければ抑留又は拘禁されることがない」と規定した憲法三四条を具体化したものであり、特に人の身体的自由を拘束する結果になる職務行為の適法性の要件は厳格に遵守されなければならないことを考えると、本件逮捕に際し、被疑事実の要旨の告知がなかつたことは、当然履践されるべき法定の要件を欠くものとして違法たるを免れないというべきである。
だとすると、被告人の前記行為は、両巡査の右違法な逮捕行為に対し、これを排除し自己の身体的自由を守るため己むを得ずなされた反撃行為であつた刑法第三六条にいう正当防衛に該当するものといわなければならないし、又傷害の点についても右正当防衛行為の過程において発生したものであり、これまた正当防衛に該当するものというべきである。よつて本件公訴事実については被告人はいずれも無罪というべく、弁護人の主張は理由がある。
(法令の適用)<省略>(重富純和)